心の状態のコントロールについて

- Aco -

今日は、気に入らないことがいくつか重なって、久しぶりに心がざわついたのですが、30分くらい深呼吸をしたら、静かになりました。

深呼吸30分って、けっこう長い(笑)

でも、こうやって何らかの方法で、心の状態をコントロールするなんて、それなりに生きてきて、我ながら学んできたんだなぁと思いました。
まだまだですが。


たぶん私は、性分としては気性の荒い方だと思います。
小さいときは、泣き虫でした。
私の記憶では、悲しみや悔しさではなく、『怒り』によって大声で泣いていたように思います。

小さいときのエピソードにこんな話があります。

補助輪付きの自転車を運転している時、母親が後ろから自転車の荷台を支えて離さないのです。
母親としては手伝ってあげようとしていたのでしょうが、私としては一人で運転したいのに、それを上手く伝えられず、思いが叶わないことによる怒りから大声で泣き喚いていました。
これは写真が残っているので、もしかしたら写真を見た後の、後付けの記憶の可能性もありますが、私の感覚としては、その時の心情まで思い出せる記憶です。


もう一つ。
これは記憶にはないのですが、大阪の叔父さんから聞いた話です。

親戚からお年玉をもらったときの話。
私には3つ上の姉がいます。細かな経緯はわからないのですが、何かしらの流れで、自分のお年玉より姉のお年玉の方が多いことを知って怒り、自分のお年玉のお札をその場で破ろうとしたらしいのです。
周りの親戚に止められ、お札は破られなかったようですが。

小学校の時は、しばしば殴り合いのケンカをしました。
別に武勇伝を話したいわけではありません(笑)
ただ、比較的 気性の荒い性格だったということを言いたいだけです。

今思えば、小学校3年生から高校1年まで空手をしていたのが良かったのかなぁと思います。

空手の稽古は小さな公民館であったのですが、稽古はまず公民館全体の掃除から始まります。
『来たときよりも美しく』という言葉を何度も教えられ、そうすることについての理屈っぽい説明はありません。そういうものだと教えられて、そういうものだと思うのです(笑)

練習後には、けっこう長い黙想をします。
正座をして黙想をしている間、先生が『今日一日の反省をしなさい』と静かに言います。
小学校3年生くらいの私は、『反省=何か悪いことをした人がするもの』という理解をしていたので(笑)、「何も悪いことはしていないんだけどなぁ...」と思いながら、その日一日にあったことを思い出していました。


黙想にしても、深呼吸にしても、空手や踊りなどを通じて、心の状態をコントロールする術を得たことは良かったなと思います。

これについて考えた時、いつも頭に浮かんでくるのは「もし、心の状態をコントロールすることについて磨きをかけていって、究極に近づいたらどうなるのだろう」ということです。
それはもはや仙人です(笑)
私の知っている限り、仙人の心は乱れませんから。

感動や歓喜などによる感情の起伏はよいと思うのですが、それ以外はなるべく平穏にコントロールしたいものです。
なかなか難しい時もありますが。。