美しい手

-Mariko-

先日、映画「フジコ・ヘミングの時」を観賞しました。

フジコさんの手は私の想像していたピアニストの手ではなく、太くてしっかりとした指でふっくらと厚みのある手でした。

それを見て思い出したことがあります。 

私が二十歳の頃、ある男性が私の手を見てこう言いました。
「君のような手の持ち主は一生働くのだろうね」

私の手は指は短く、節も太くて色も黒い。
彼の連れの女性はいわゆる「白魚の様な手」白くほっそりと長い美しい指。

私は十五歳で独立していたので、二十歳の頃には正直、早く楽をしたいなと思っていて、そんな時に一生働くなんて言われて、すごく残念な気持ちになりました。

それから何十年も経って今の私はやっぱり働いているけど、その当時と大きく違う所は、好きなこと、興味があることが仕事となっていること。

こんなに幸せな事はないなと思います。

そして、出来るのであれば一生働きたいなと思っています。当たり前だけど、価値観は変わるものですね。

とは言え、生活感を全く感じさせない「白魚のような」美しい手に憧れがあることに変わりはなく、自分の手にコンプレックスを持ったりしてしまうけど、

去年読んだトルストイの「イワンの馬鹿」(中村白葉訳・岩波書店) の中の一節

『イワンのところでは、啞娘が食事の支度をしていた。この娘は、これまでに幾度も怠け者達にだまされてきた。怠け者達は、働きもしないでいつも人より早くたべに来て、麦粥をみんな平らげてしまうのだった。そこで啞娘は、手で怠け者を見わけることが上手になった。━手にたこのあたっている人はすぐ食卓につかせるが、たこのない人には、たべ残りをやるようにしていた。老悪魔が食卓につこうとすると、啞娘はさっそく手をとり、たこがなくて、きれいで、すべすべしていて、長い爪のはえているのを見た。娘は妙な声をだしてうなると、老悪魔を食卓からひき立てた。」と、イワンの妻が彼に言った━
「あなた、気をわるくしないで下さい、うちの妹は、手にたこのできていないひとは食卓につかせないことにしているのです。もう少し待って、いまにほかの人がたべてしまったら、その時残ったものをおたべなさい」』

これを読んだ後、自分のこの手も悪くないかなと思えるようになりました。

※文中に現在では使わない言葉がありますが、原文をそのまま載せましたのでご了承ください。